タグ別アーカイブ: ほしいも

阿字ケ浦小でほしいも作り体験

並べられたほしいもは、校舎の屋上で干され、10日程度で児童に配られます
並べられたほしいもは、校舎の屋上で干され、10日程度で児童に配られます

ひたちなか市の名産である「ほしいも」作りを親子で楽しんでもらおうと、平成28年1月29日、阿字ケ浦小3年生15人による「ほしいも作り体験」が行われました。

同校では、総合的な学習の一環として、ほしいもの歴史や作り方の調べ学習、ほしいも生産農家を含む保護者の協力によりほしいも作りに取り組んでいます。

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外野小でほしいも作り体験

外野小学校で平成28年1月19日、3年生児童が総合的な学習の時間でひたちなか市名産のほしいも作り体験に取り組みました。

児童たちは、蒸かしたイモをへらで丁寧に皮をむいていき、飴色のイモを一つ一つ大事にスライスして、干し網いっぱいに並べていきました。

参加児童は「皮むきは実際にやってみると難しかったけど楽しかったです」とほしいも作りの感想を話していました。

第9回ほしいも品評会の1次審査会を開催

ほしいもの技術や品質を競い合う第9回ほしいも品評会(主催:ひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会)の出展物を決める1次審査会が、平成28年1月15日、ひたちなか市役所で開催されました。

審査会に出展されたのは、ほしいも三ツ星認定生産者が生産した65品(たまゆたかの部19品、べにはるかの部33品、希少品種の部13品)で、ほしいも協議会役員や消費者代表などで構成された審査員21人が、「見た目」「味」「食感」の審査項目にもとづき真剣な眼差しで評価を行いました。

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出展された65品を一つ一つチェックしていく審査員のみなさん

1次審査結果は次のとおりです。(順不同)

■たまゆたかの部

飛田勝治(ひたちなか市)、澤畑明宏(ひたちなか市)、黒澤武史(ひたちなか市)、川又正一(ひたちなか市)、川崎有康(ひたちなか市)

■べにはるかの部

ベストフーズ(ひたちなか市)、川又正一(ひたちなか市)、ほしいも株式会社(東海村)、塙一美(東海村)、照沼勝将(東海村)、黒澤武史(ひたちなか市)

■希少品種の部

飛田勝治ーほしこがね(ひたちなか市)、澤畑明宏ーほしこがね(ひたちなか市)、加藤友也ーいずみ(ひたちなか市)

第9回ほしいも品評会が開催されます

※ほしいも販売と試食(なくなり次第終了)も行っています。

(昭和の記事から)乾燥イモ加工の先駆者大和田熊太郎翁の碑

(市報かつた昭和38年11月7日号)

乾燥イモ加工の先駆者大和田熊太郎翁の碑たつ

このほど長砂地内の共同墓地に大和田熊太郎翁の墓碑が旧前渡村村民有志によって建てられました。

大和田熊太郎といっても、市民の皆さんにはおわかりにならないかも知れません。しかしその名は知らなくて乾燥イモ(ほしいも)はご存知でしょう。あのサツマイモを薄く切って乾燥する蒸切干のこと。この乾燥イモ加工の茨城県における先駆者が、ほかならぬ大和田熊太郎翁なのです。

翁は長砂の人で、明治39年41歳で旧前渡村村長となり、その後四期村長の職にあった、いわば当地の重鎮というべき人でした。当時(明治40年代)前渡村では、夏作物として陸稲、大豆、粟、稗等を栽培していましたが、栽培技術の幼稚さや科学肥料の末発達という悪条件から、年々かんぱつに見舞われ農家は困窮の中に停滞していました。翁はこうした農家経済の難局を何とかして打開しようと村長の立場から奮闘しました。

このとき大命ともいうべき思いが翁をとらえました。サツマイモの栽培とその加工です。サツマイモはかんばつにも冷雨害にも強いというところから、当時の農業経済を大きく前進させることは明らかです。翁は決心し、当時の甘藷栽培加工の先進地静岡県から講師を招き村内数力所に講習会を開催して村民を指導しました。こうして長砂一帯に甘藷栽培と乾燥イモ(ほしいも)加工が根をおろし、当地の農業経営を豊かにする基礎がができたのです。その後、翁は県会議員にも当選し、茨城県農政にも多大な尽力をしました。昭和9年2月没。

世は変り、科学技術の発達と農業経常の進歩によって、食糧事情とともに農家経済もどうにか安定した今日、翁の業績をしのび、後世に伝えようというところから、有志一同による建碑となったわけです。