カテゴリー別アーカイブ: 歴史

黄門さまと緑所ヶ淵(勝田の民話から)23/23

(市報かつた昭和62年3月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

黄門さまと緑所ヶ淵

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池の中に十一面観音さまが、まばゆいほど金色に輝いていたのです

枝川と水戸市城東地区を結ぶ新水戸大橋下あたりで、那珂川がぐるっと曲がって流れるところがあります。むかしから、このあたりはだれ一人として川底を見た者はないといわれるほど、それはそれは深いところで、水の色がちょうど緑青をおびた色をしているところから、緑所ケ淵とよばれています。この緑所ケ淵には、竜がすんでいるともいわれていました。

ある年の夏、この話を聞いた水戸黄門さまは、家来を連れて枝川村にやってきました。

「緑所ケ淵とやらには竜がすんでおるそうじゃが、余が直に確かめてしんぜよう」

「恐れながら申しあげます。こごではいぐら泳ぎが達者な村の若い衆でさえ、決して泳がねえどこでごぜえます」 黄門さまと緑所ヶ淵(勝田の民話から)23/23 の続きを読む

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娘に化けたキツネ(勝田の民話から)22/23

(市報かつた昭和62年3月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

娘に化けたキツネ

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狐は赤や黄色に紅葉した山ブドウの蔦を食い切ってそれを体にぐるぐる巻きつけると突然美しい娘に化けたのです

むかし、江戸時代のころ、外野村に次介という、川漁の好きな若者がいました。
外野村や大島村の田んぼのきわを流れる小川は水がきれいで、フナやウナギがたくさん住んでいたのです。

秋も深まったある日、次介はバカマチ(馬化待ち)に出掛けました。バカマチとは川幅一杯に、竹をすき間なく差して柵を結び、一カ所だけ開けた所に網を張っておいて、通り抜けようとするウナギを一晩中待ち構えて、つかまえる漁のことです。

次介は川のきわに夜露をしのぐために、篠で囲ったバカマチ小屋の中で、網先につけた脈糸を手にして、ウナギが入るのを待っていました。そこへ、小屋から五〜六間ほど離れた所に、大きなキツネが一匹現れました。次介は小屋の中で、じっと息をこらしてキツネのようすをながめていました。

ところが、あっと驚くようなことがおこりました。狐は赤や黄色に紅葉した、山ブドウの蔦を食い切って、それを体にぐるぐる、ぐるぐる巻きつけると、突然美しい娘に化けたのです。次介は一瞬のできごとに、声も出ませんでした。 娘に化けたキツネ(勝田の民話から)22/23 の続きを読む

柿の木に現われた文字(勝田の民話から)21/23

(市報かつた昭和62年2月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

柿の木に現われた文字

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不思議なことに割れた面から直径六寸ほどの大きさで「⑥」とはっきり読める黒ぐろとした文字が現れたのです

むかし、江戸時代の文政年中、今から160年前のころ、上高場村に善三郎というお百姓さんがいました。

善三郎は、とても丹精で正直者、村びとから親しまれていました。

この善三郎の家の庭さきに、むかし、ご先祖さままが植えた大きな柿の木がありました。枝は天高く四方に伸び、根っこは竜のように四方にはり、夏の初めごろになると、鈴のような形をした白い花が、「ぽとん、ぽとん」と大地にはじけ、秋には真赤に熟れた実をたわわにつける、自慢の柿の木でした。

ところが、ある年の秋、寄る年波には勝です、風のために柿の木が倒れてしまいました。 柿の木に現われた文字(勝田の民話から)21/23 の続きを読む

一本松と権現さま(勝田の民話から)20/23

(市報かつた昭和62年2月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

一本松と権現さま

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平磯村の貧しい漁師が毎月一本松の権現さまへお参りしているうちに大漁に恵まれて一介の漁師から一番の網元に出世しました

馬渡中宿東側の射爆場跡地内に、大沼とよばれる所があります。そこは名前のような大きな沼があり、あたりは深い森におおわれていて、とてもさびしい所でした。

この沼のそばに、近年まで一本松とよばれた大きな松の木が立っていて、根もとに祠がまつられていました。村びとはこの桐を、一本松の権現さまと呼んでいました。この権現さまには、つぎのような話が伝えられています。

ころは江戸時代、今から百数十年ほどむかし、馬渡宿に一人のみすぼらしい旅の若者がやって来ました。馬渡宿は江戸時代になってから湊街道沿いに発展した宿場で、いろいろな旅びとが往来していました。 一本松と権現さま(勝田の民話から)20/23 の続きを読む

雨乞いのみこし(勝田の民話から)19/23

(市報かつた昭和62年1月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

雨乞いのみこし

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若者たちは雨乞いのみこしを担いで村中をねりあるきました

むかし、江戸時代のころ、田彦村の鎮守(吉田神社)さまに、たいそう立派なみこしがありました。みこしというのは神さまの乗りもので、祭りや早魃のときに若者たちが担いで、祝ったり、祈ったりするものです。

ところが、村の若者たちは何か不満があると、祭りの日以外のときでも鎮守さまのみこしを無断で担ぎ出してきては、大騒ぎしました。若者たちは毎日朝から晩まで働く一方で、骨休みの神事にしたいと思ったのです。

ある晩、若者たちは真夜中にこっそりみこしを担ぎ出してきて、村役人の庄兵衛さんの家の庭に置いて行きました。

「こりゃ大変だ、まだ鎮守さま出でしまった。なんとかしねえげればなんめえ」 雨乞いのみこし(勝田の民話から)19/23 の続きを読む

起き上がりの松(勝田の民話から)18/23

(市報かつた昭和61年12月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

起き上がりの松

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若者は素早く道端にあった肥寵をすっぽり頭からかぶって身を隠しました

下高昜の鉾香取(ほこかとり)神社南側の田んぼに面したあたりに、近年まで「起き上がりの松」とよばれた名木が一本立っていました。この松には、次のような話が伝えられています。

昔、ある村の者が、村松の虚空蔵様の近くにある阿漕浦とよばれる池へ漁に出掛けました。この池は、村松の大神宮さまの神聖な池で、漁をすることはかたく禁じられていたのです。それとは知らず、若者が漁をしているところへ、近くに住むじい様が通りかかりました。

「おめえ、どこのわげえもんだ。こごにはかだ(片)目の魚めとったらばちがあだっと」

「そんてなごだあ迷信だ」

若者は、じいさまの戒めにも耳を傾けようとせず、せっせと投綱をうって漁を続けていました。 起き上がりの松(勝田の民話から)18/23 の続きを読む

怒った天王さま(勝田の民話から)17/23

(市報かつた昭和61年12月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

怒った天王さま

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本田の氏神さま何だがしんねえが西原の方さうづってきっちまったど、村中大さわぎだ

むかし、足崎村の本田(ほんでん)という所に、太郎兵衛という人の良いおじいさんがいました。ところが、太郎兵衛じいさまは鼻天狗がたまにきずで、何かにつけて人前で自慢したり、いばりちらすので、だれからも嫌われていました。

ある日、太郎兵衛じいさまが沢田あたりの海岸を歩いていると、妙に光り輝く流木を見つけました。

「こんてに光る木は、今まで見だごだねえ」

太郎兵衛じいさまは、その木を大事に持ち帰ると、さっそく村の氏神さまに御神体として祭りました。

それ以来、氏神さまは年々お盛りになり、三台の山車が繰り込むほど、村をあげてお祭りをするようになりました。鼻天狗の太郎兵衛じいさまは、ますますいばりちらすようになりました。 怒った天王さま(勝田の民話から)17/23 の続きを読む

草田の坊三(勝田の民話から)16/23

(市報かつた昭和61年11月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

草田の坊三

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見せしめのために大きな杉の木に一昼夜しぼりつけられてしまいました

むかし、今からおおよそ380年ほど前、大島村に草田の坊三(ぼんさ)という若者がいました。坊三は働くことが大きらいで、足元にはえている庭草一本抜こうともせず、いつもぶらぶら遊んでばかりいました。このため、坊三の田畑は雑草におおわれていて、家の庭も軒下まで足の踏み場もないくらい荒れほうだいでした。

ある年の夏のことでした。何日も何日も日照りが続いて作物が実らず、村びとは困っていました。そこで、時の領主打出(らちで)の殿様にお願いして、大きなため池をつくることになりました。これがいまの大島溜(雷溜)です。 草田の坊三(勝田の民話から)16/23 の続きを読む

狐の恩返し(勝田の民話から)15/23

(市報かつた昭和61年11月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

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キツネは足に傷を負って、いかにもいたいたそうな表情で、じっと医者の顔をみつめていました

狐の恩返し

むかし、高野村にたいそう心のやさしい医者がいました。医者は村びとが病気で苦しんでいると、どんなに大雨が降っても、大風が吹いても、真夜中でも、出掛けて行って治療をしてあげました。

ある晩のことでした。隣の須和間村の若者が、村びとが病気で苦しんでいるのですぐにきてみてほしいと、息をきらしてかけこんできました。高野村と須和間村境は、田んぼや坂道があって昼間でもさびしい所でした。けれども、医者は苦にもせず薬箱を手にすると若者と一緒に出掛けて行きました。

病人はことのほか難病で、手当に時間がかかり、家路についたのは真夜中を過ぎていました。須和間の坂を下り、田んぼを過ぎて高野の坂道にさしかかったときでした。道端に一匹のキツネが、うずくまっていました。 狐の恩返し(勝田の民話から)15/23 の続きを読む

鼓ヶ崎城(勝田の民話から)14/23

(市報かつた昭和61年10月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

鼓ヶ崎城

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長槍を手にして陣頭にたち、敵兵を迎え撃ちました

むかし、今からおおよそ640年前の室町時代のころ、佐和の鼓ケ崎城の城主に、沢善四郎信綱という殿様が住んでいました。信綱はたいそう文武にたけ、やりの使い手でもあり、鼓の名手でもありました。

室町時代は、世の中が戦乱に明けくれた時代でした。各地で武将の勢力争いの戦いが起こり、このため多くの村びとが苦しんだのです。

戦乱のきざしは、沢(佐和)村にもただよっていました。時の関東管頌足利基氏にそむいた下野国の豪族、下野(しもつげ)禅司を沢善四郎信綱がたすけたため、足利基氏から怒りをかってしまいました。基氏は配下の那珂西(東茨城郡常北町)城主の那珂通泰に、沢善四郎信綱を討つようひそかに命じたのです。 鼓ヶ崎城(勝田の民話から)14/23 の続きを読む