一本松と権現さま(勝田の民話から)20/23

(市報かつた昭和62年2月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

一本松と権現さま

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平磯村の貧しい漁師が毎月一本松の権現さまへお参りしているうちに大漁に恵まれて一介の漁師から一番の網元に出世しました

馬渡中宿東側の射爆場跡地内に、大沼とよばれる所があります。そこは名前のような大きな沼があり、あたりは深い森におおわれていて、とてもさびしい所でした。

この沼のそばに、近年まで一本松とよばれた大きな松の木が立っていて、根もとに祠がまつられていました。村びとはこの桐を、一本松の権現さまと呼んでいました。この権現さまには、つぎのような話が伝えられています。

ころは江戸時代、今から百数十年ほどむかし、馬渡宿に一人のみすぼらしい旅の若者がやって来ました。馬渡宿は江戸時代になってから湊街道沿いに発展した宿場で、いろいろな旅びとが往来していました。

ところが、若者が馬渡宿へたどり着くやいなや、激しい雷雨にみまわれ、不運なことに往還(おうかん)で雷にうたれてしまいました。近くの商やに救いを求めたときには虫の息で、いまわのきわに、「呑竜(どんりゅう)さま、呑竜さま」という言葉をのこして息を引き取りました。

この若者は上野国大田(群馬県大田市)の人で、捨子を養育したので「子育て呑竜さま」で知られる大光院の庭掃きなどの寺男をしてくらしていました。ところが、ある日とつぜん気がふれてお寺をとび出し、遠い他国の馬渡宿まできてしまったのです。若者はろくろく食べ物もとらず、何日も放浪していたらしく、身体ぼろぼろで、見るからに貧しい身なりをしていました。

「かねえそうに、こんな遠いどごまできてしまって」。

村びとは若者のなきがらを、大沼のそばの権現さまへねんごろに葬り、弔ってあげました。

それから何年か過ぎましだ。平磯村の貧しい漁師が、毎月一本松の権現さまへお参りしているうちに、大漁に恵まれて、一介の漁師から一番の網元に出世しました。権現さまにお参りすると、願いをかなえてくれると言ううわさがたちまち村びとくに浜の漁師たちに、あつく信仰されるようになったといわれています。また、一本松は若者を葬った所から松がはえ、たちまち見上げるような松に成長したといわれています。

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