雨乞いのみこし(勝田の民話から)19/23

(市報かつた昭和62年1月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

雨乞いのみこし

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若者たちは雨乞いのみこしを担いで村中をねりあるきました

むかし、江戸時代のころ、田彦村の鎮守(吉田神社)さまに、たいそう立派なみこしがありました。みこしというのは神さまの乗りもので、祭りや早魃のときに若者たちが担いで、祝ったり、祈ったりするものです。

ところが、村の若者たちは何か不満があると、祭りの日以外のときでも鎮守さまのみこしを無断で担ぎ出してきては、大騒ぎしました。若者たちは毎日朝から晩まで働く一方で、骨休みの神事にしたいと思ったのです。

ある晩、若者たちは真夜中にこっそりみこしを担ぎ出してきて、村役人の庄兵衛さんの家の庭に置いて行きました。

「こりゃ大変だ、まだ鎮守さま出でしまった。なんとかしねえげればなんめえ」

庄兵衛さんは朝起きて、庭に置かれていたみこしを見ておどろきました。庄兵衛さんは、早速世話人を集めて相談をしました。

「このめえみこしを出したどきは、次郎兵衛の家の座敷さ担ぎごんで、障子だのふすまだのめちゃくちゃにこわされっちまったが。いっそのごど、みこしを燃ししゃしたらどうだっぺ」。

世話人たちはいろいろ相談をした結果、鎮守さまの境内でみこしを燃やしてしまおうということにきまりました。

それから、何年か過ぎたある年の夏のことでした。毎日日照り続きで田畑の作物が実らず困っていました。田彦村の人びとが一番困ったことは、雨乞いをするにも肝心なみこしがないことです。

「しかだねえがら、酒だるでみこしつぐってみだらどおだっぺ。水戸のれえじん(雷神)さま行って水もらってきて、みこしさかげでやったらご利益があっぺ」

村びとは、早速みこし作りにとりかかりました。二本の担ぎ棒の中ほどに板を渡し、その上に四斗ぐらい入る大きな酒だるをのせて、縄を四方にかけ、杉の葉など撕差したみこしをこしらえました。

若者たちは、雨乞いのみこしを担いで村中をねりあるきました。ところが、つぎの日不思議なことに大雨が降りました。村びとは恵みの雨に、まるで銭でも降ったかのような喜びようでした。それ以来、田彦村では雨乞いには手づくりみこしを用いるようになったということです。

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