鼓ヶ崎城(勝田の民話から)14/23

(市報かつた昭和61年10月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

鼓ヶ崎城

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長槍を手にして陣頭にたち、敵兵を迎え撃ちました

むかし、今からおおよそ640年前の室町時代のころ、佐和の鼓ケ崎城の城主に、沢善四郎信綱という殿様が住んでいました。信綱はたいそう文武にたけ、やりの使い手でもあり、鼓の名手でもありました。

室町時代は、世の中が戦乱に明けくれた時代でした。各地で武将の勢力争いの戦いが起こり、このため多くの村びとが苦しんだのです。

戦乱のきざしは、沢(佐和)村にもただよっていました。時の関東管頌足利基氏にそむいた下野国の豪族、下野(しもつげ)禅司を沢善四郎信綱がたすけたため、足利基氏から怒りをかってしまいました。基氏は配下の那珂西(東茨城郡常北町)城主の那珂通泰に、沢善四郎信綱を討つようひそかに命じたのです。

ある年の秋のことでした。鼓ケ崎城攻略の機をうかがっていた那珂通泰は、一夜、風雨の中を総勢200騎の兵を引きつれて襲撃してきました。ホラ貝の音で敵が攻めてきたことに気づいた沢善四郎信綢は、素早く鎧兜に身をかためると、長槍を手にして陣頭にたち、敵兵を迎え撃ちました。前後左右から斬りかかってくる敵兵を、得意の長槍で次々と倒してしまいました。信綱の勇猛さに敵兵は恐れをなして、だれ一人近寄る者はいませんでした。

けれども、多勢に無勢で味方の兵はつぎつぎと倒れ、信綱も全身に無数の矢をうけていました。

「最早これまでじゃ。そちたちは、よくこれまで余に尽くしてくれた、礼を申すぞ。」

沢善四郎信綱は、生き残った17人の家族と従者を庭前に集めると城に火を放ち、全員が自害して果てました。

ところが、つぎの日の晩、不思議なできごとが起こりました。落城して誰もいないはずの城の焼け跡から、なんともかなしい鼓の音が聞こえてきたのです。しかも、鼓の音は三日三晩聞こえてきたのです。このようなことがあってから、誰いうとなく鼓ケ崎城とよぶようになったと伝えられています。この鼓ケ崎城は幻の城で、佐和のどこにあったかは今も定かでありません。

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