才三郎狐(勝田の民話から)11/23

(昭和61年9月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

才三郎狐

0910
一本松のキツネにまんまとたぶらかされてしまいました

むかし、勝倉村の武田溜に近い一本松という所に、たいそう知恵のある才三郎とよばれたキツネがすんでいました。才三郎というよび名は、もともと村の若者の名前でした。この若者は、顔だちはととのっているがなまけ者で、悪知恵がはたらきました。秋になると那珂川に帰ってくるサケを密漁しては水戸の城下へぼでふり(棒手振り)に出かけ、そのお金で酒ばかり飲んでくらしていました。

那珂川のサケは味が良いので、献上鮭といって水戸の殿様が朝廷や将軍様に献上してから食べる習わしになっていました。そのため、昔からサケは無断で漁をすることが禁じられていたのです。

ある晩のことでした。才三郎が那珂川へ密漁に出掛けた帰り、一本松のキツネにまんまとたぶらかされてしまいました。

「ゆんべ(夕べ)才三郎が一本松のきづねめにまあされだ(だまされた)の知ってっか」

「ああ、聞いだ聞いだ。サゲめまで取られっちまったんだど。才三郎をまあした一本松のきづねめ、てえしたもんだ。」

このときから、村びとは一本松の狐を才三郎狐とよぶようになりました。

当の才三郎は、狐にたぶらかされてからは村びとの前にめったに顔を出さず、家にこもったきりでした。それから何日か過ぎたある日、村びとの間に奇妙なうわさがもちあがりました。村の者が夕方、城下町で、ぼでふり姿の才三郎を、しばしば見かけるというのです。

「おれも見だよ、あれは確かに才三郎だったよ。言葉かげだら、だまっておじぎして逃げるように行っちまった」

家にいるはずの才三郎が、城下町で、ぼでふりしてというのですから、村びとがおどろくのも無理はありません。うわさは、たちまち村中はもとより、城下町にまで広まりました。ところが、それ以来城下町で、ぼでふりする才三郎の姿を二度と見かけたものはいなかったということです。

広告