那珂川からあがった観音様(勝田の民謡から)10/23

(市報かつた昭和61年8月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

那珂川からあがった観音様

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なんと、それは木彫の観音様でした

むかし、江戸時代のころ、三反田村に大層丹精な親孝行の娘がいました。娘は朝早くから夜おそくまで、雨の日も風の日もよく働きました。

ある年の秋のことでした。村の近くを流れる那珂川が、嵐で大水まあし(洪水)になりました。200年前の天明の大水まあしのときは、村で50軒もの家が水に流されたということですが、それと同じくらいの大水まあしでした。

那珂川はこのころは川底が浅く、堤防もなかったので大雨が降ると直ちに大水まあしになってしまったのです。

娘はせっかく丹精こめて作った稲が水に流されたり、泥に埋まってしまい、がっかりしました。娘は川岸に立って、うらめしそうに川をながめていました。すると、濁流の中を小さなほこらが流れてきて、中にきらきら暉くものが見えました。

「あの光んのは、なんだっぺ」

娘は危険をかえりみず、濁流の中に小舟を出して近づいてみると、なんと、それは木彫の観音様でした。娘は観音様をひろいあげると、家に持ち帰り台所に置きました。

その晩のことでした。娘が夜業(よなべ)仕事をしまって床につくと、台所に置いたはずの観音様が枕元に現れて、きらきらと御光(ごこう)がさして眠れませんでした。観音様は川からひろいあげてもらったことが、とてもうれしかったのです。

翌年の春、娘は中根村へお嫁入りしました。ところが、観音様がまた現れました。娘は観音様のことを、夫に話しました。

「そんてに観音様が御光さすんでは、きっとさみしがってんだわ。早く実家さ行って持ってきたらいがっぺ」

夫の言葉に、娘は早速実家へ行って観音様を持ってきて、屋敷内に祠を建ててまつりました。それからというもの、娘は幸せにくらしたということです。この観音様は中根の鹿島神社の近くにまつられていて、安産や子育て、子授けの神様として村びとにも信仰されてきたが、もとは枝川村にまつられていたとも伝えられています。

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