つるし米の話(勝田の民話から)8/23

(市報かつた昭和61年7月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

つるし米の話

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不思議なことに、それを見て産婦はたちまち元気を取りもどし、無事に赤ん坊を生むことができました

日立の多賀山地のふもとに、大久保、金沢(かねさわ)とよばれるところがあります。むかし、この村は田んぼが少なく、土地もやせていて米がとれない貧しい村でした。

とりわけ、金沢村は貧しい村でした。村の人たちは、めったに米のご飯を見たことがありません。ふだんは、ソバとかヒエ、アワのご飯を食べてくらしていました。

ある日、村に難産でたいそう苦しんでいる者がいました。これまで何人も赤ん坊を取りあげ、手慣れた村の取りあげ婆さん(産婆)も困っていました。

「白いご飯食べてねえがら、力が出ねえんだっぺなあ。そおだ、どごがの村で米をたかすっぽ(竹筒)の中さ入れで、天井さつるしといだっちゅう話聞いだごだあんが、米見せでやったらいいがもしんねえな」

取りあげ婆さんは、さっそく家の者にいいつけて、竹筒の中に米を入れさせ、それを産婦の寝ている天井につるしました。

「ここにうめえ(おいしい)米があんだから、早くがんじょ(丈夫)になんねげれだめだよ」

取りあげ婆さんは、産婦を力づけました。すると、不思議なことに、それを見て産婦はたちまち元気を取りもどし、無事に赤ん坊を生むことができました。

それからというもの、金沢村ではお産をする者がいると、必ず竹筒に米を入れて天井につるすようになりました。そして、世間の人びとはいつのころからか、「大久保金沢つるし米」と、よぶようになったということです。

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