千々乱風(勝田の民話から)6/23

(市報かつた昭和61年6月25日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

千々乱風

0625
海はたけりくるったように荒れ、浜辺の砂を吹きとばしはじめました

勝田と那珂湊と東海にまたがる射爆場跡地内に、沢田とよばれるところがあります。そこは、広い砂浜の中でただ一か所だけ、清らかな水が湧いていて、沢田川という小川が流れています。

むかし、このあたりに青塚村、大塚村、二亦(ふたまた)村の三つの村があって、沢田千軒といわれたくらい、たいそう栄えていました。村びとは、漁をしたり、海水から塩をとったり、田畑を耕したりして、のどかにくらしていました。

江戸時代初めの元和3年8月19日のことでした。朝から天気も良く、海もおだやかでした。ところが、夜に入って海鳴りが不気味な音をかきたてはじめたのです。

「あのおだ(音)なんだっぺ。高波でも押し寄せてきんだっぺが。じっちゃま覚えねえのげ」

「おらあ、90になんが、こんてなおだ聞いだごだねえな」

海鳴りは、古老も体験したことのない不気味さでした。

夜が明けるころになって、突風が吹きだしました。海はたけりくるったように荒れ、浜辺の砂を吹きとばしはじめました。沢田はそのころは砂防林もなく、広い広い砂浜だったので、ひとたまりもありません。砂はたちまち田畑を埋めつくしてしまいました。

風はつぎの日も吹き荒れました。村びとは、砂嵐の中を家族総出で、家の軒下に吹きたまる砂を取り除こうとしました。けれども、砂はたまるばかりで、75日間も吹き荒れて、村中の家もお寺も、ことごとく埋めつくしてしまいました。家を失った青塚村の人びとは、馬渡村へ移り住み、二亦村の人びとは、長砂村横道へ、大塚村の人びとは、前浜村へ移り住みました。

「井戸さ入れ、川さ入れ、チチランプン」と、目に入ったゴミを取り除く呪文があります。この呪文は、当時村びとが、砂嵐がおさまるように唱えた呪文であったとも伝えられています。

広告