安寺持方の話(勝田の民話から)5/23

(市報かつた昭和61年6月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

安寺持方の話

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村で一番頭が長い者を殿様の前に連れて行きました

奥久慈の男体山と白本山のふもとに、昔、平家の落人が隠れ住んだと伝えられる、安寺(あでら)と持方(もちかた)と呼ばれる村があります。そこは、里の人もめったに行かない山奥でした。

村びとは、炭を焼いたり、猟をしたり、焼畑といって山の斜面の一部を焼きはらい、わずかな作物を作って暮らしていました。

ある日、村の庄屋のもとに役人が来て、水戸の殿様が近くおなりになるので、高声、鳴り物は一切まかりならないと、命じていきました。殿様が来るというので、安寺持方の人びとはおおわらわ。庭先に積み重ねてある堆肥を崩したり、柿や栗をはじめ、木の実を残らず落としはじめました。

そこへ、殿様がやって来ました。殿様はその様子を見て不思議に思い、村びとにたずねました。

「これこれ百姓、その方らはせっかく重ねた淮肥をなぜ崩してしまうのじゃ。柿もクリも、まだ実が青いのではないか。食べ物を粗末にするものではない」

村びとは、恐る恐る殿様に申し上げました。「せんだってお役人様が来て、殿様が来っから高肥、成り物は一切まかりならんと、きつく命じられたんでござんす」。

「高声」を「高肥」、「鳴り物」を「成り物」と間違えてしまったのです。殿様は、ただ苦笑するばかりでした。

明くる朝、殿様が「これこれ、余は顔を洗う。手水(ちょうず)を持て」と、村人に命じました。

「ちょうずっちゃ、なんだっぺ」。村びとは、ひそひそと相談を始めました。その結果、村の禰宜(ねぎ)様が物知りだというので相談したところが、禰宜様も分かりませんでした。「ちょう」は「長」、「ず」は「頭」という字であろうと禰宜様が言うので、村で一番頭が長い者を殿様の前に連れて行きました。

殿様は、はじめからかわれていると思いましたが、「待てよ、これは油断ならん。平家の落人の里だけあって、皆有能じゃ」と、大層感心して帰ったということです。

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