額田の達才(勝田の民話から)4/23

(市報かつた昭和61年5月10日号より。文・平野伸生 絵・穂垣智子)

額田の達才

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あらうじの裏のツゲの木のクモの巣さひっかかってんが、あれがそうだねえげ

むかし、水戸領内の額田村=現在の那珂市額田=に、達斎(たっさい)という人が住んでいました。達斎の家は、佐竹様が支配していたころは蔵人役といって、出納関係の仕事を務めた家柄でした。けれども、達斎の時代には、家は落ちぶれてしまい、手間どり仕事をしながら暮らしていました。

この達斎は、大層トンチにたけていました。村びとが、達斎にどんなにむずかしい問題を出しても、即座に答えがかえってきたのです。世間の人たちは、達斎のことを額田の「たっつぇ」(達才)と呼ぶようになりました。

額田の達才の名は、水戸領内はもとより、諸国にも知れわたりました。ある日、紀州の殿様から水戸の殿様の所へ、使いの者がやって来ました。紀州の名人と額田の達才の二人に、トンチくらべをさせてみようという話がまとまりました。

数日後、二人はお城に呼ばれ、殿様の前でトンチを竸いました。はじめに、紀州の名人が問題を出しました。「こないだの大嵐で、お寺のつり鐘が吹き飛ばされたんだが、水戸の方さ飛んできめえが」

すると、額田の達才は「あらうじ(家)の裏のツゲの木のクモの巣さひっかかってんが、あれがそうだねえげ」と答えました。重いつり鐘が、クモの巣にひっかかっているわけはありません。さすがに紀州の名人も「こりゃ、とでもおらあかなあねえ」と、頭をかかえで額田の達才に降参してしまいました。

紀州と水戸の殿様は、二人の話を聞いていて、腹をかかえて大笑いでした。額田の達才は、殿様からおほめの言葉と、たくさんのごほうびをいただいたということです。

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