(昭和の記事から)乾燥イモ加工の先駆者大和田熊太郎翁の碑

(市報かつた昭和38年11月7日号)

乾燥イモ加工の先駆者大和田熊太郎翁の碑たつ

このほど長砂地内の共同墓地に大和田熊太郎翁の墓碑が旧前渡村村民有志によって建てられました。

大和田熊太郎といっても、市民の皆さんにはおわかりにならないかも知れません。しかしその名は知らなくて乾燥イモ(ほしいも)はご存知でしょう。あのサツマイモを薄く切って乾燥する蒸切干のこと。この乾燥イモ加工の茨城県における先駆者が、ほかならぬ大和田熊太郎翁なのです。

翁は長砂の人で、明治39年41歳で旧前渡村村長となり、その後四期村長の職にあった、いわば当地の重鎮というべき人でした。当時(明治40年代)前渡村では、夏作物として陸稲、大豆、粟、稗等を栽培していましたが、栽培技術の幼稚さや科学肥料の末発達という悪条件から、年々かんぱつに見舞われ農家は困窮の中に停滞していました。翁はこうした農家経済の難局を何とかして打開しようと村長の立場から奮闘しました。

このとき大命ともいうべき思いが翁をとらえました。サツマイモの栽培とその加工です。サツマイモはかんばつにも冷雨害にも強いというところから、当時の農業経済を大きく前進させることは明らかです。翁は決心し、当時の甘藷栽培加工の先進地静岡県から講師を招き村内数力所に講習会を開催して村民を指導しました。こうして長砂一帯に甘藷栽培と乾燥イモ(ほしいも)加工が根をおろし、当地の農業経営を豊かにする基礎がができたのです。その後、翁は県会議員にも当選し、茨城県農政にも多大な尽力をしました。昭和9年2月没。

世は変り、科学技術の発達と農業経常の進歩によって、食糧事情とともに農家経済もどうにか安定した今日、翁の業績をしのび、後世に伝えようというところから、有志一同による建碑となったわけです。

広告