伝説千々乱風_2

(市報なかみなと昭和51年1月20日号より)

伝説の分析と検討

伝説は一般に、その土地の事物に結びついて合理的に語られるのが常である。そしてまた、郷土の知識人がその伝説に対してさらに合理的解釈を伺け加えていくため伝説が次第に展開していく性質がある。したがって伝説の水質や成立を追求するためには、その伝説を分析検討し、あとから付け加えられた部分などもはっきりさせておく必要がある。千々乱風伝説は果してどうであろうか。

まず第一に、千々乱風伝説に付随する傍証的伝説として前同に述べた①-⑦をとりあげてみよう。①-④は寺の山号、住職、神官の姓で、いずれも海岸の沢田または青塚から移ったためだという。たが、それが本来のものか、あとから付け加えられたものであるかは明碓な記録がないために判然としない。

②のオンタク院も記録にはない。住民が栗崎の仏性寺をオンタク院とか、沢田山と称すると伝えるのは誤りで、この寺は涌石山大日院を号している。しかし前浜に今なお仏性寺の檀家七軒があるのは事実で、その七軒は同一の家から分かれた一族である。この謎は、かつて前浜に天台宗の安楽寺が存し、栗崎仏性寺門徒であったが、潰されて仏性寺へ引継がれたという記録によって解くことがてきる。つまり前浜七軒の檀家は、もと安楽寺に属したか、寺が潰されたあと仏性寺と関係をもったことになる。

⑤の那珂湊市原にある熱田家を砂岸と呼ぶのは、その家が海岸からもっとも遠隔な砂丘の麓にあることからの屋号で、あとから伝説に結びつけたものであろう。同様に、⑦の前浜黒沢家の氏神へ、馬渡黒沢家の人々も参詣するというのは、かつて宗家から分立した関係がいつの間にか忘れられて、海岸から移住のときに分かれたのであるかのように信じられてしまったのではあるまいか。

⑥のように、馬渡宿や前浜を浜新田と呼び、馬渡では本郷が参加しないかぎり宿の者だけで鎮守祭礼を執行できなかった、ということは、その地域と住民か何らかの歴史的背景によって村のなかでの特殊な位置を占めることを暗示している。それは集団の成り立ちすなわち村の草創、草分けと新来、太家と分家、本村(母村)と分村、地主と小作といった関係が村民の意識に生きつづけ、このような事情になることが多い。

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第二は、沢田村の海岸に存在した部落が前田千軒後田二千軒の規模を有したということである。一般に何々千軒という呼び方は、繁栄の地か、かつてそこが繁栄したところ、または繁栄して多数人家が存在したことを想像してつけられており、県内でも何々千軒といわれるところは15カ所もある。

沢田海岸の前田千軒後田二干軒という用い方も、岩手県の民話にある前田千刈後田千刈とか、佐賀県の民謡にある裏田千町前田千町と類似し、沢田海岸だけに特別のものではない。ただ、昔千軒の村があったという伝説が、日本全体にひろく分布するなかで、砂丘の存在にともなって語られる場合がいくつかみられる点は注意する必要がある。たとえば、鳥取県の大砂丘地帯や、富山県入善町または、青森県下北半島の砂丘、茨城県内では高萩市、十王町、波崎町の砂丘地帯にも千軒の村伝説があり大津波でその村が失なわれ、そのあとに砂丘ができたといっている。

伝説の形としては千々乱風の場合と一致するわけてある。それはともかく、前田千軒後田二千軒のいい方も記録にはなく、住民の伝承のみに残っているのて、こうした表現がとられたのは、そんなに古いことではないと想像されるのである。

第三に、75日間の東北の大風とは何を意味するのであろうか。「人のうわさも75日」で代表される「75」という表現は、日本中にあまねく使われており、昔話、伝説、民話、諺などにしばしばあらわれている。百日あるいは千日といわぬまても、ある限定を受けて多数を意味する表現といえよう。千々乱風伝説では近世の記録になく、明治期以降の記録にあらわれるから、これものちの人の付け加えた説明によるものであろう。

では、東北の風とは何か。伝説を記録したもので、明白に風向を示すのは明治期以降のものである。しかも当初は北風と記し、次第に東北の風と記されるようになる。したがってこれは伝説をより具体化合理化するために付け加えられたもので、その具体性合理性とは住民の意識や思考にかかわりがある。

明治43年から昭和22年に至る那珂湊測候所の資料によると、この地方の年間卓越風は北東の風である。過去に遡る資料、たとえば河口の砂じんの発達状況をみると那珂川、久慈川とも河口で左折し南岸に長い砂じんがあったことは古地図でも明らかでありこれも北東の卓越風に影響されたものである。

この点は、馬渡宿にあった古老樹や、磯崎付近の風蝕地形、沢田海岸砂丘形の面からも証明されている。つまり、この地域の住民にとって、もっとも生活に密着する風向は、この北東風なのであり、それが伝説上の風向にも説明される結果となったのであろう。

(その3へつづく)

【注記】市町村名など表記や表現、解釈などは当時のものとなっています。

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