ひたちなかリトルリーグとボーイズが全国大会出場

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表敬訪問に訪れたひたちなかリトルリーグとひたちなかボーイズの選手たち

ひたちなか市内で活動している硬式野球チームのひたちなかリトルリーグひたちなかボーイズが、このたび全国大会出場を決め、平成27年7月13日、ひたちなか市役所を表敬訪問しました。

ひたちなかリトルリーグが全国選抜リトルリーグ野球大会に出場するのは3回目。ひたちなかボーイズが日本少年野球選手権大会に出場するのは初めて。

訪問に訪れた選手たちは、本間源基ひたちなか市長に全国大会への意気込みを話し、市長から「日本一をめざしてがんばってほしい」と激励を受けました。

《2015全国選抜リトルリーグ野球大会》

  • 開催日:平成27年8月21〜23日
  • 開催場所:愛知県岡崎市ほか

《第46回日本少年野球選手権大会》

  • 開催日:平成27年8月2〜6日
  • 開催場所:大阪府大阪市ほか
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昭和の記事から16〜佐和のうつりかわり

「市報かつた」に昭和53年から昭和54年にかけて「文化財めぐり」として掲載された”ムラのうつりかわり”(全18回)を紹介します。(16/18)

佐和

(市報かつた昭和54年3月25日号掲載)

市域の北端部に位置し、那珂町と東海村に隣接する佐和ムラは、浜街道(岩城相馬街道)が整備されるとともに、早くから宿場として発展してきました。「元禄常陸国絵図」、「大日本道中行程細見記」なとの古地図にもみられるように、ことに、宿駅制が定められてからは、水戸、石神(東海打)間を結ぶ荷駄の継所として、重要な役割りを果たしてきました。

しかし、一方ではこのような宿駅制によって、佐和ムラはもとより、周辺のムラが疲弊し、困窮をまねく原因となったことも事実です。その制度が、宿駅制にともなう助郷(すけごう)とよばれた制度でした。この助郷とは、幕府が諸街道の宿場の継立てを援助するため、宿場の近郷近在に課した宿場人足です。参勤交替が制度化され、道中が増えるにつれて、助郷は宿場周辺のムラにとっても大きな負担となり、困窮においやられるはめになりました。とくに、浜街道は享保年中以降、交通がふえて、浜街道を経て水戸街道を利用する大名の数は、たとえば、文化5年(1808)のばあい、東海道146頭、奥州街道37頭、中山道30頭についで、水戸街道23頭であったから、かなりの交通量であったことかわかります。しかも、大名などは、定められた人足以外に、違反して使役するものが多く、また、宿場には馬士や人足が、旅人から酒手をねだるなと風紀も乱れ、このため、幕府は道中奉行を通して、再々厳しい取締りをおこなっています。

「馬渡の裸馬」とか、「佐和のボロ宿」などといわれたのも、過酷な助郷制度が原因であったわけです。事実、文化7年には、佐和、森山(日立市)の二村は「囚窮ニ囚テ人馬銭今年ヨリ五年間二割五分増」というように、特別に水戸藩の庇護を受けています。一見はなやかな宿場の裏面史がうかがえます。 昭和の記事から16〜佐和のうつりかわり の続きを読む