消防救助技術関東地区指導会出場チームを市長が激励

高さ3メートルの障害をチームワークで乗り越える消防士たち
高さ3メートルの障壁をチームワークで乗り越えるひたちなか・東海Aチーム

平成27年7月10日埼玉県富士見市で開催(7月17日)される第44回消防救助技術関東地区指導会障害突破の部に出場するひたちなか・東海広域事務組合のチームを、本間源基市長が激励に訪れました。同チームは、先月開催された第42回茨城県消防救助技術大会で優勝し、同指導会へ出場することになりました。

この日は同指導会へ向けた訓練披露が行われ、訓練を見た本間市長は「チームワークを大切に自信をもって大会に臨んでほしい」と激励しました。

同チームキャプテンの立原歩夢さんは「我々はいつも住民のことを想い、訓練に励んでいます。大会で優勝を目指すのはもちろんですが、大会を通して成長し、住民の命を守っていきたい」と抱負を述べていました。

本間市長に訓練終了を告げるひたちなか・東海Aチーム
本間市長に訓練終了を告げるひたちなか・東海Aチーム
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昭和の記事から13〜足崎のうつりかわり

「市報かつた」に昭和53年から昭和54年にかけて「文化財めぐり」として掲載された”ムラのうつりかわり”(全18回)を紹介します。(13/18)

足崎

(市報かつた昭和53年12月25日号掲載)

佐和の上稲田が、竹篭などの特産地であったのに対し、足崎は篠て編む笊(ざる)の特産地として、近郷近在に知られていました。足崎でこの篠細工が始められた起源は、明らかではありませんが、すてに、江戸時代のころから盛んであったことは確かてしょう。明治・大正時代には、ムラの戸数90戸余りのうち、大半の家では農閑期、あるいは、夜業仕事として、笊などを作っていたといわれています。

材料の篠は、おもに米崎(那珂町)、常陸太田の在辺りから買い入れたそうです。笊を作るときの行程も分業化されていて、たとえは、”腰上け”とよばれる笊の灰部を編む作業は、おもに女の仕事で、それ以外の”廻し”とよばれる編んでいく作業”ふじまき”とよばれる仕上げ部分の作業は、高度の技術と力を必要としたので、おもに男の仕事とされていました。かご作り

こうして製造された笊は、定期的に廻ってくる、ムラの仲買人が買い取っていきました。磯笊など、岩場で海草をかき取るときに使う特殊な笊は、婦人達が湊、平磯方面へ早起して商に出かけ、昼時分までには全部売って帰宅したと、今年86歳になる老姿は、当時を懐かしげに回想しています。笊や篭が、当時は生活必需品で、かなり需要が多かったことがわかります。このため佐野村辺は「篭製造組合」が組織されています。大正7年ころの価格を見てみますと、負篭(方言ではショイ篭)か、上等で1円20銭、魚を人れて持ち運ぶサジマ篭が、15個で30銭などと取り決められています。以前、日常使われていたものに、たとえば、麦などは直接食べられないので、一度煮立てから笊に入れ、水に浸しておくイマシ笊(方言でブチャゲ笊)うどんを中ゆでたときに釜からすくいあげるショウギ、みそこし笊、ご飯笊、イビラなどがありした。しかし、近年は食生活の変化とともに、こうした民具は、ほとんどみられなくなりました。 昭和の記事から13〜足崎のうつりかわり の続きを読む