昭和の記事から5〜金上のうつりかわり

「市報かつた」に昭和53年から昭和54年にかけて「文化財めぐり」として掲載された”ムラのうつりかわり”(全18回)を紹介します。(5/18)

金上

(市報かつた昭和53年7月25日号掲載)

ムラにはそのムラの特産物などがあります。「中根カボチャ」、三反田の「ゴンゾウネギ」、「勝倉麦」、馬渡の「カンソウイモ」などが有名です。金上の「金上大根」、「金上さつま」も、かつては特産物として県内でも広く知られていました。

「金上大根」の歴史は古く、江戸時代後期のころ、金上村の百姓、西野常三郎が冨士、浅間、石尊参詣の帰り、大根の種子を買い求めてきたのがはじまりといわれています。常三郎は、後に採種の方法を改良するなどして、大根栽培の普及につとめ、文化年中(1804-1829)のころには、金上全村にわたり栽培されたといわれます。明治末期ごろには、西野利衛門らによって、さらに品種改良され、これまで尻つまりであったものが、尻細の尾長大根に改良されました。

大正5年勝田村の大根作付面積と生産高をみると、24町8反歩、生産本数百万本で、もちろん、主要生産地は全上です。大根の主な出荷先はも水戸や多賀郡内の鉱山や炭鉱、あるいは、那珂湊方面となっていました。一方、「金上さつま」は、「川越」とよばれる品種で、皮が赤く、中身が黄色で、別名「キントキ」などともよはれ、食用として好評を得た甘藷です。

金上という地名は、県内では行方郡北浦村にあります。しかし、「大日本地名辞書」からみたかぎり、ほかにはみあたりません。ただ、福島県に金上と書き「かねかみ」と読ませている地名があります。金上遠江守盛備の領地で、この盛備は、有名な戦国時代の武将、伊達正宗の軍と交戦して討死しましたが、一説には、勝田の金上城主も盛光、盛忠といい「盛」の一字を代々襲名しているところから、あるいは、同族であったことも考えられます。もともと、地名は仮名に漢字を当てたことによって呼名が変ったという地名がいくらもあります。しかし、金上を「かねかみ」とよんだにしても地名の起りは明らかではありません。

kaneage
遠原貝塚

金上の歴史は古く、無土器時代(1万8千年前)のナイフ形石器が出土しています。また、今年の7月に発掘調査がおこなわれた遠原貝塚は、縄文時代前期(5千年前)の遺跡です。縄文、弥生時代のほかの遺跡も多く、近年まで残されていた金上古墳群は有名です。また、金上城跡は、比較的小規梗ですが本郭や二の郭がほぼ原形を残しており、永久に保存したい史跡です。なお、新堀、二の堀とよはれる金上城の外堀は、集落をそっくり囲むように掘られ、現在その一部が残っています。

金上の風習では、かつてゴタチノイワイとよばれる風習がありました。これは男児が5歳を迎えての成長を祈願する儀式で、注連縄を張った部屋に一週間こもり、朝昼晩と日に3回、那珂川辺に設けられた聖地で白装束姿で水をあび、身を浄めるという古風な儀式が、近年までおこなわれていました。

ムラのうつりかわりをみてみると、元禄年中の石高は227石6斗、天保年中は中、塙、平井の三組で、戸数は43戸。明治6年の大小区制では、第八大区三小区。明治15年には勝倉村の連合村に入り、さらに、明治22年の町村制の施行で勝田村となりました。(市史編さん事務局)

【注記】市町村名など表記や表現などが当時のものとなっています。

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