昭和の歩行者天国

昭和47年に始まった勝田市時代の歩行者天国の画像を公開しました。

(市報かつた昭和47年8月25日号から)

にぎわった「歩行者天国」
本祭りは小雨のなかで花やかに

「歩行者天国」は大変な好評でした。かつた祭りの前夜祭と時を同じくした8月19日、勝田市でははじめてのこころみとして行なわれた、この自動車からの解放区。午後7時から10時までの3時間、常陽銀行勝田支店前から湊線踏み切りまでの、表町通り約800メートルには、およそ5万人の人が集まり、のびのびと歩行者の天国を味わっていました。

解放された車道に5万人
迫力ある”やんさあ祭り”

この歩行者天国は、かつた祭りの前夜祭の当日に実施したこともあって、かなりの人が出ることは予想できたところでした。しかし実際には、5万人という数字は予想をはるかに上まわる人出だったといえるでしょう。

当日は、かつた祭りの前夜祭として、市内各地区でパレードやいろいろな行事が催されましたが、歩行者天国の会場、表町通りでも、表町区の主催による楽しい催しが盛りだくさんに予定されていました。

歩行者天国の開姶は午後7時。定時に花火を合図に自動車は一切シャットアウト。同時に歩行者が普段は歩けない車道におりてきました。最初の10分間ぐらいは、いつもなら自動車の激しい交通のために狭く感じる道路も、ひろびろと見えました。ところが、いつどこからともなく車道に出てくる人で、いつの間にか人の波。7時20分を過ぎるころには、もう車道が狭く感じられるほどの人出でした。

表町区では、歩行者天国開始とほとんど同時に、会揚のやや北よりに「子供の広場」を開設、くす玉割りや、宝さがし、ちびっこのど臼慢などを開催して楽しいムードを盛り上げました。宝さがしの当りくじを係員に示す子供づれのお父さんやお母さん、くす玉から散った色とりどりの紙を拾う小さな女の子、ゆっくりと人の波のなかを歩くおとしより。自動車の警笛にふりかえる必要もなく、信号を待つ必要もない道路。人々はこれが当然のようにくつろいでいます。

さらに催しものはバンド合戦を経て、8時からは期待の「やんさあ祭り」です。歴史的に由緒ある神馬による競馬の再現が図られるわけです。歩行者天国の車道を、ひととき、この神馬にゆずって、歩行者は歩道で見物ですが異論をとなえる人もありませんでした。この「やんさあ祭り」は、実際の馬は使用されず、人造馬によるものでしたが、8時に再び花火が打ち上げられ、スタートのアナウンスが伝えられると、人々はのび上って人造神馬の競馬の模様を観戦しました。

競馬に参加したのは6チームで湊線踏切り側から3チーム、常陽銀行勝田支店側から3チームが同時にスタートをして、中央のくす玉を早く割ったチームの神馬が勝ちとなります。決勝のくす玉は、中央町チームが見事に割り、この日のやんさあ祭りのヒーローとなりました。

このあとさらに1時間、ゴーゴー大会のエレキに一層ムードはかき立てられ、10時の終りのときがきました。
こうして終った歩行者天国は、昨年からの懸案として実施されたわけですが、これが決定されるまでには曲折もありました。しかしとにかくはじめて実施され、好評だったのです。この日の感想を、枝川の川島庄次郎さんは「解放されて、すばらしいことだ」と語り柏野の菊地義夫さんは「いいことだから、年1回ということなく、適ぎ実施してもらいたい」と話していました。

(市報かつた昭和50年6月10日号から)

歩行者天国でにぎわう
「よいこの消防広場」を設けて

第14回勝田市表町歩行者天国が、6月1日、表町通りで実施されました。歩行者天国もまる1年以上、毎月第1日曜日に実施されてきましたが、当日は、実行委員会などが企画した三輪車競走、金魚すくい、ジャンケンゲーム、植木市、消費者バザー、不用品チャリティ販売などが催され、集ったのべ2万人の人でにぎわいました。

この歩行者天国のなかの催しものとして消防本都では、「よいこの消防広場」を設けました。これは子どもたちなど市民みなさんの火災予防思想の晋及高揚を図るために行われたもので、消防相談コーナー、梯子消防車・消防ポンプ車・消火器等の展示、救助訓練、紙芝居コーナーなど、たくさんの親子連れがおとずれました。なかでも子どもたちの八気のまとは、消防自動車で、梯子消防車や消防ポンプ車の運転席に乗って楽しそうでした。

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