昭和の電車庫(現勝田車両センター)

昭和の電車庫(現・勝田車両センター)の画像を公開しました。

電車庫着工は9月下旬。敷地は45,000平方メートル 地元の協力で敷地ほぼ解決

常磐線電化計画について、国鉄では、すでに水戸ー上野間を第1期工事としてとりかかっていますが、同工事の計画に、電車庫の設置を当市に内定して着工されたことは、関係各方面からの期待と歓迎もまた大きいものがありました。

市ではこの機をのがさず、語般の情勢を判断して、昨年12月市議会に諮り、第一候補地を勝田駅の西側一帯(日製水戸工場用地)を予定して、工場側と接渉しました。

一方国鉄は、日製本社と直接同用地の提供方を交渉したわけでありますが、工場側は、同社製電気機関車の試運転線の敷設のため、同地提供には、どうしても応じられないとの結論となり、早期解決を見込まれた誘致問題も一頓座をきたしだのでありました。

今年の1月国鉄から当市に対して、「市内の他の適地について、3月いっぱいに調達の見とおしを回答願いたい、見とおしのたたざるときは、友部~内原間の国鉄用地を使う」との通知があったので、当市は険悪な情勢に当面いたしましたが、去る1月電車区誘致特別委員会(市議会議員及び大島地区委員構成)が発足し、同月21日に市議場において、各委員及び地主各位の参集をいただいて、市の電車庫誘致の熱意を訴え、地元の全面的な協力を要請したわけであります。

その後地元関係者と会合、計画の内容から漸時、具体的な対価検討に入り、地区与論の支持と並行して、懇談がひんぱんに行われました。

複雑な仕事でありましたが、3月31日のぎりぎりのところで、関係者全部の話し合いがつき、ようやく実現の明るい兆候が見出されました。

目下国鉄部内の事情で遅れておりますが、9月下旬に電車庫の工事が始まることになりました。

市の発展をかけたこの誘致事業も、地元関係者の熱意ある協力によって、実現される運びとなったことは、発展途上にある勝田をさらに進展することを期待されるものであります。

(市報かつた昭和34年9月1日号)

市民の協力がここにみのる まちにまった 勝田・上野間開通
地元民の建設的熱意が大きな成果をおさめた

全国で初めての交直両用のデラックス電車が、市民注視のもとに去る6月1日から、勝田・上野間を2時間20分で走り、当市はますます衛生都市としてふさわしい条件が生れ、更に市発展の大きな推進力となったものと思います。

常磐線電化の大きな原動力となったのは、申すまでもなく電車庫の建設にともなう敷地の買収など数多くの問題点があったにもかかわらず、大島地区はもとより、市民各位の絶大な協力と援助により生れたものと思います。

開通式の当日は、関係各位の臨席と、附近の地元市民の多数参加を得まして、自衛隊の演奏、花束贈呈など、数々の行事が進められ午前6時13分花火の合図にテープは切られて、勝田市の新しい歴史を秘めて雄躍発進、誰れもが、これを祝福し、よろこびにひたっているものと思います。

昭和32年4月8日某新聞に「常磐線電化に多くの間題、本県で利用債16億円、水鉄局長強力な運動を知事に申し入れ」という見出しで、一般に報道されてより、ようやく電化問題が政治的にも、実質的にも動きだしてまいりました。
県は9月に常磐線電化期成同盟の組織を中心として、これに対応、立地条件のすぐれた当市に電車庫設置の要請を申し入れてまいりました。

市は、12月市議会協議会を開催し、電車庫誘致特別委員会を設置して、これが実現を計るため、さっそく勝田駅西側の日製水戸工場の空地約5ヘクタールについて日製本社と交渉いたしましたが、会社側のやむを得ない事情により断念せざるを得ない惰況にいたりました。それがため、内原村か、または、勝田駅周辺の近接適地にするかとの、用地選定の問題にたちいたったのでありました。

市ではさっそく、翌年の34年1月19日、第一回委員会を開き、大島地区の線路沿いの約5.8ヘクタールの用地への誘致方法について協議いたしました。続いて1月21日より地元との初懇談会を開催し、用地提供について懇請いたし以来2月の末まで十数回の会合と懇談をいたしました。その間の地元大島地区の協力は、実に見事な成果をおさめ、3月の初旬より末日までに、その全部が調印を終り、電車庫誘致の実現は、決定的なものとなりました。

それから8月の下旬、測量、設計その他のすべての準備が完了して杭打ちが行われましたが、踏切や、用地への道路の問題などのいくつか解決を要する問題が残されていましたが、10月には整地化業が開始されました。同時にそれらのことを、次々に解決への協力と援助を得られまして、ここに立派な電車庫の建設が実ったわけであります。

なお電車庫の竣工式は来る7月8日の予定で進めております。

(市報かつた昭和36年1月10日号)
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