昭和の勝田工業高等学校

昭和の茨城県立勝田工業高等学校画像を公開しました。

県立勝田工業高等学校の正門(予定)前から、勝田・富士田線を横切り33メートルの昭和通りまで、工高道路ができました。
この道路は、都市計画事榮の中根工区街路第一号と言い、幅員16m、延長約480mで、両側にU型コンクリート測溝を完備しています。
なお、勝田・富士山線と昭和通り間の320mは失棊対策畢藁として施工されたもので、延3100人が仕事をしました。
また、総事業費は約480万円で、施工期間は昭和37年4月から12月まででした。
ところで、この道路によって一層利便がはかられるようになった勝田工高の今後の構想に、簡単にふれてみましょう。
生徒数は現在一年だけで、240名ですが、将来一、二、三年で720名にふくれあがり、必然的に先生も57名に増えます。そして、これら先生生徒の殿堂として、本館、電気機械実習工場、屋内体育館など合計8412.9平方メートルの建築が昭和38年度には完成されることになっています。
また、将来は機械と電気とを総合した自動制御装置の研究室も設備するとのことです。
このように明るい、広大なスケールの工高が完成した暁には工高道路も一層、その価値を発揮するでしょう。
(昭和38年3月1日号)

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