昭和に発掘調査された鉾の宮古墳

ひたちなか市高場地内にある鉾の宮古墳の発掘記事を紹介するとともに画像を公開しました。

(市報かつた昭和41年4月10日号より)

7世紀代の石棺見つかる 鉾の宮古墳緊急調査

勝田市下高場地内で農地返還造成工事中に、2つの古墳が発見されました。勝田市と明大考古学研究室で昭和41年3月16日より4日間、緊急調査を行いましたので、その概要をお知らせいたします。

1.鉾の宮1号古墳

この古墳は現状から見て直径約20メートル、高さ1.5メートル程の円墳で、以外を納めた棺の石材は高野付近で産出する軟質の凝灰岩を切り出して組み合わせ、かまぼこ型の蓋石をのせた箱型の石棺です。 それが当時地表面からローム層(赤土)を30センチ彫り込んだところに、頭をほぼ北にするような方向で安置され、全体を粘土で覆い、その上に土をこんもりと覆ってあったようです。

この箱型石棺は内部に朱を塗りこんで長さ1.8メートル、深さ35センチ、幅は頭部で48センチ、足部で39センチの小型のもので追葬は認められません。

墳丘の上には円筒形のハニワが丸くめぐらされていたようですが、葬られた人の年齢や性別は人類学専門の先生に見ていただかないとはっきりしませんが、身長1.6メートル前後の成人男子であったと推定されます。石棺内の遺骸の右には大刀が刄の外側に向けて、左には小刀が、頭の左脇には20本ほどの鉄ぞくが副葬品としてそえられていました。

これらはほとんど完全な形で残されていました。そして、この古墳は、古墳時代の終わりごろの7世紀代に作られたものであろうと思われます。

2.鉾の宮2号古墳

二号墳は一号墳より西方約80メートルのところにあり、大島、佐野両中学校の協力を得て調査が行われました。

古墳に盛ってあった土は工事のため削られていましたが、その形は一種の前方後円墳になっているようです。そして古墳の中心線は北西、南東を指しています。後円部の直径は約13メートル、前方部の幅は約5.5メートルあり、その境目であるくびれた部分には棺が置かれています。

棺はローム層(赤土)を約15〜20センチ掘った中に木棺を置き、その周りを粘土で覆ったもので、木棺はすでに腐ってしまっていて周囲の粘土だけが残っていました。棺は北西、南東の方向に置かれ、長さは約3メートル、幅は外側で55センチ、内側で約50センチと多少の差があり、北西部は粘土も厚いが南東部は粘土もほとんど見られません。

棺の中心部と南東部の二箇所には長さ3〜5センチの刀子が鉾先を後円部に向けて発見されました。墳丘の周りには幅約2メートルの周堀がめぐらされ、くびれ部付近では3メートル以上もあります。前方部がどの位のびるか、周堀がどこまで続くかはわかりません。

そして、周堀の中には古墳の周囲に並んでいたらしいハニワが転げ落ちたように点在していました。北のくびれ部に接する周堀に始まって北東部の半分までには馬2人物4、朝顔形のハニワが多数あり、南西部から半分には円筒ハニワがありました。これらのハニワはおそらく馬渡ハニワ窯跡で製作されたものと思われ、その時期は6世紀半ごろに位置づけられると思われます。

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